
立正山尚徳寺は、昭和五十年五月三日、当時の日蓮教団総長、原木山妙行寺第三十九世本成院日勇上人の許しを得て、尚徳院日壽(野口昌徳)上人によって、埼玉県上尾市小敷谷の土地に創建されました。周囲にはまだ武蔵野の面影を残した雑木林や田畑が広がっていました。
昌徳上人は明治四十三年、旧上尾村の旧家の三男として誕生。兄下里光徳上人(高徳寺初代住職、元上尾市長)の影響を受け、十四歳の時に法華経の信心に目ざめ、安世院日秀上人に師事することとなりました。
そもそも尚徳寺の発祥は、この上尾市小敷谷に、知的障害児収容施設・千代田いずみ学園が設立されたことに始まります。
昌徳上人は熱烈なる法華の信者として、社会福祉の志に燃え、恵まれない子供たちのための学園建設の理想を掲げたのですが、開園当初より種々の困難が生じ、やがて閉園のやむなきに至りました。
昌徳上人は、皆が一致団結し、様々な困難を乗り越えて建設したこの施設を処分することを非常に残念に思い、「何とか世のため人のためにこの施設を活用したい」と、借金をすべて肩代わりし、私財を投げ打って学園の土地建物を譲り受けたのです。
昌徳上人は、昭和四十七年四月、仏教保育による私立千代田保育園を開園。園内に約一坪ほどの小さなお堂を建て、天満大自在天、元政大和尚尊霊の二体を安置し、園児たちのすこやかな成長と知恵の増進を願い、毎月二十五日には天神祭を開催しました。
このお堂の建立が当山の起源となります。
その後、千代田保育園の閉園を転機として、昌徳上人は法華道場の創建を発願し、本格的な宗教家としての道を歩むこととなりました。
尚徳寺は昭和五十年五月の開山以来、一貫して人生相談を中心とした法華経の布教活動に励んで参りました。当山は墓地を持たない寺院です。墓地を持ち、檀家を有する寺院とは異なり、経営基盤も無い中での難行苦行のスタートとなりましたが、悩み苦しむ人々の「駆け込み寺」として「心のホームドクター」として、個人救済に力を注ぎ、何とか発展の基礎を築くことが出来たのは、誠に有り難い事と存じます。
昭和六十一年には、東京都千代田区神田神保町の土地に「尚徳寺東京別院(後に本院と改称)」が誕生しました。
平成十四年十月、「日蓮大聖人立教開宗七百五十年」の記念すべき年に、永年の宗教活動が実を結び、文化庁より念願の「宗教法人」の認証を受けることが出来ました。
これもひとえに諸仏諸天の御加護の賜物であり、日蓮教団歴代総長を始め、各聖のご支援の賜物と厚くお礼申し上げます。
平成十六年一月二十三日、尚徳寺開山、尚徳院日壽上人遷化、世寿九十五歳。同年四月三十日、尼僧野口国蘭が第二世の法燈を継承し、『宝珠のことば』等の出版活動に加えて、法華経読誦や日蓮大聖人御遺文の勉強会にも力を注いでおりました。
令和四年八月十七日、第二世、宝珠院日妙上人(野口国蘭上人)遷化、世寿七十五歳。
現在、第三世長男、野口壽一上人が法燈を継承し、住職として人生相談祈願を始め様々な活動を継承しています。
尚徳寺のご案内

| 東京本院 |
| 〔住 所〕 東京都千代田区神田神保町1-8-18 |
| 〔電 話〕 03-3219-7676 |
| 〔F A X〕 03-3219-7678 |

| 上尾別院 |
| 〔住 所〕 埼玉県上尾市大字小敷谷字原通804 |
| 〔電 話〕 048-725-1050 |
| 〔F A X〕 048-725-1050 |
| 御本尊 | 三宝尊 |
| 諸 像 | 祖師像、鬼子母神尊像、弁財天像 |
| 寺宝並びに指定文化財 | 大曼陀羅御本尊(本成院日勇上人直筆) 日蓮聖人註画讃 聖観世音菩薩像(北村西望作) 恵比寿・天黒天像(北村西望作) |
| 年中行事 | 一月 新年祈祷会 二月 涅槃会 二月 宗祖降誕会 三月 春季彼岸会 四月 花まつり 八月 盂蘭盆会 九月 秋季彼岸会 十月 お会式 十二月 成道会 |
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